乳がんを友人に伝えた反応、周りの人に知っていて欲しいこと

私は36歳で乳がんになり2年経った今も乳がんと共に生きています。
私が乳がんを友人に伝えた時の反応や周りの人に知っていて欲しいことを伝えたいと思います

皆さんがもしも乳がんになったら友人に伝えますか?
周りの人に自分の病気を話すべきか悩みました。
言いたくなくても言わなければならない人もいました。

乳がんになった私もどこまで周りの人に自分の病気を話すべきか悩みました。
ここでは乳がんだと伝えて良かったこと、後悔したことを皆さんに知って欲しいです。

私はこの記事を通じて乳がんの方の心境を少しでも理解していただけたり、ご自身で悩まれている方に対して、私だから伝えられる事、力になれるのではないか?と思い記事を書かせていただきます。

もくじ
◯乳がんを友人に伝えた時の反応
◯乳がんになって周りに知っていて欲しいこと

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◯乳がんを友人に伝えた時の反応

私が乳がんになって初めて友人に会ったのは全ての抗がん剤治療が終わってからでした。
それまでも何度か食事に誘われたのですが、会いたい気持ちになれず別の理由を付けて断っていました。

ところが遠方に嫁いだ一番仲の良い友人が久しぶりに帰って来て、会いたいと連絡をくれてのです。

会うことにしたものの、当時の私は抗がん剤の副作用で4キロ太り、髪は全部抜けてウイッグをかぶっていました。
眉毛は残っていましたがまつ毛はありません。
肌はくすんで目は窪み、大きなくまができていました。

病気前と容姿が全然違うのです。

これは友人も私が何かの病気じゃないかと気づくだろうし、
乳がんのショックが和らぐように会う前に伝えておこうか前日まで迷っていました。

結局、乳がんのことは言わずに約束したお店に向かいました。

私を見た友人は、まず「太ったね!」と笑っていました。

開店と同時に入ったので他にお客さんはおらず、テーブルに向かい合わせに座りました。

どういう風に伝えるかまでは考えてなかったのですが、メニューを見ている時にいつもの調子で
「最近どう?」と聞かれたので「実は報告があって・・」と切り出しました。

「私、乳がんになっちゃって・・」と続けました。
「うそ!」と真顔で呟いた友人は、一瞬で目が潤みポロポロと涙を流しました。

「でも、初期だから大丈夫、治療も順調。」
簡単に経緯を話している間、友人は私を見つめたまま涙を流していました。

「ごめんね、驚かせて」と言うと、
「ほんとびっくりだよ。やめてよ。」と少し怒った口調でした。

会った時もいつもと顔が違うなと感じたそうですが
久しぶりでお互い老けたんだと思ったそうです。

続けて友人は言いました。

「ずっと大変だったんだね。」

・・そうだ、私、大変だった。

めちゃくちゃ辛かった、めちゃくちゃ悔しい、本当は。

でも、大変だとか、辛いとか誰にも言えなかった。

今まで出せなかった気持ちが込み上げて来て泣いてしまいました。
友人も一緒に泣いてくれました。

しばらくして視界の端っこに困った様子の店員さんが立っていたので、
我にかえり気持ちが落ち着きました。

これが乳がんになったことを友人に伝えた時の様子です。
その時、私は友人は同じ歳だしショックを受けるだろうから申し訳ないとばかり思っていました。
でも、伝えてみれば、私の心が解放されたような感覚で、話せてすっきりしました。

相手の悲しみに寄り添えるのは、女性はもともと共感する力が大きいからでしょう。
同じ涙でも、夫のは悔しい、残念という気持ちが大きかったと思います。

家族は今でも大きな悲しみの中にいます。
でも、私に気を遣って大変と言ったことはありません。

だから、その悲しみの根源である私が、辛いとは絶対言えないのです。

私の場合、友人には家族に言えないことも話せたので
乳がんだと伝えて良かったと思いました。

そして、心からありがたいと思う存在です。

◯乳がんになって周りに知っていて欲しいこと

ここからは乳がんだと伝えて後悔した体験談と
周りの人に知っておいて欲しいと思ったことです。

今度は友人は友人でも、いわゆるママ友です。

子どもの学校や幼稚園には乳がんのことを伝えましたが
幼稚園のママ友には、言わないつもりでした。

ママ友と言っても関係は薄くて、園で会えば挨拶や少し立ち話をする程度のお付き合いでした。

だから、私が園に行かなくなっても誰も気にしないと思っていたのです。

ところが、おばあちゃんの送迎が多くなり
行事の欠席も増えたので、保護者間で心配の声が上がったようです。

フルタイムで仕事をしている人の欠席は暗黙の了解でしたが
仕事をしていない母親が何度も欠席すると目立ちます。

でも、私が子どもと出かけているのを何度か見た人がいて
とうとう幼稚園の行事の手伝いが嫌で仮病を使っているという噂が立ってしまいました。

これでは子どもと母も行きづらいでしょうし
ちゃんと伝えた方がいいと思いました。

クラス役員さんに伝えてしばらく経った頃
ママ友が「私の姉も乳がんになったの!」と言ってきました。

そして、お姉さんの症状と治療を説明してくれたのですが
察するに私の乳がんとはタイプが違うようでした。

乳がんは患者ごとに治療が違うし同じ薬を使っても副作用の出方も違うのです。

「このサプリが良かった。」とか、「ウイッグや爪のケアは何、使ってるの?」と
色々と薦めてくれるのですが
私はサプリも飲まないし、爪がおかしくなっても全く気にしないし、ウイッグだって1万円のでも
高くて買おうか迷ったわ。と思っていました。

別のママ友には

「初期で良かったね。」と言われました。

私はステージでは初期に入ります。

でも、全摘をして、抗がん剤でストレートロングだった髪は抜け、
生えた髪はクルクルで前髪だけが伸びません。

ホルモン治療で排卵も止めているので、もう一人欲しかったけど諦めました。

どうか10年生かせてくださいと祈りながら日々暮らしているのです。

私もまだ、良かった、とは思える境地には至っていません。

初期だから良かった、と本人が言う時は
心配かけたくないからです。

今なら、ご厚意がありがたいと思えます。でも、その時は
そっとしてしておいて欲しかったです。

ママ友という存在はもともと友人ではないので、距離感が難しいです。

こんなこともありました。

乳がんが分かった時、母は徒歩でしか送迎できないので
園バスのある保育園に転園しようと思って役所に相談にしました。

対応した男性は速攻で、「枠が無いので無理です。」と言いました。
「来月なら入れますか?」と聞くと、「他にも待っておられますから」と言われました。

「治療はずっと入院ですか?乳がんの治療をしながら働いている人はいますもんね。」

と言われた時、 とても残念な気持ちになりました。

それは働ける状態だから働いてるんじゃないですか?

弱った心は簡単に傷ついてしまいます。

まとめ

※個人的な見解です

今、前向きに生きている乳がん患者も落ち込んだ時期が必ずあります。
必要な時間はそれぞれ違うと思います。

小林麻央さんの治療について批判している人を見た時、心が痛みました。

もっと早く標準治療を受けていれば、なんて言う人は彼女の何を知ってるのでしょう。

それが出来ない理由があったのです。
ブログを読んでいる他の乳がん患者を思い
書けなかった事もたくさんあったはずです。

彼女は抗がん剤治療をしています。
もし、抗がん剤が効く乳がんであれば、遅くなかったはずです。

私は全摘することが決まっていましたが
血液と一緒に全身に流れたがん細胞が悪さをしないため
術前抗がん剤を行いました。
それは、全摘する前に抗がん剤の効果があるか調べるためでもありました。

幸い、私は5mmまで小さくなったのですが
喜ぶ主治医を見て、その時に治療法は確立していても
抗がん剤が効かない場合もあるのだと知りました。

最初は効果があっても効かなくなることだってあります。

少し知識があったとしても
知り合いに同じ病気の人がいるとしても
目の前にいる乳がん患者は同じではないのです。

メディアで公表して、乳がんの影に隠れない人もいれば
影で苦しんでいる人もたくさんいると思います。

治療しながら社会に出ている人も全てを乗り越えているとは限りません。

どうか乳がん患者が自ら歩き出すまでは、手を引っ張らないであげて欲しいです。

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