乳がんが家族にもたらした影響、家族に言われて嬉しかったこと、辛かったこと

私は36歳で乳がんになり2年経った今も乳がんと共に生きています。
乳がんが家族にもたらした影響、家族に言われて嬉しかった事、辛かったことをお伝えいたします。
芸能人で公表されている方もいらっしゃいますが一般人の声って身近に居なければ聞こえてくることはないですよね。

私はこの記事を通じて乳がんの方の心境を少しでも理解して頂けたり、ご自身で悩まれている方に対して、私だから伝えられる事、力になれるのではないか?と思い記事を書かせていただきました。

もくじ
○乳がんが家族にもたらした影響
○家族に言われて嬉しかったこと
○家族に言われて辛かったこと

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○乳がんが家族にもたらした影響

乳がんが家族にもたらした影響は私たち夫婦の将来設計にも及びました。
それまで社宅に住んでいたので、いずれ自分たちの家を建てたいと準備していたのです。
でも、それは夢のまま保留になりました。

頭金は貯めていましたが、家を持つには私が働いて生活費の補填をするのが大前提だったからです。
住む場所に困ったら実家があるし、少しでも多く子どもたちの教育資金を貯めておこうという考えに改めました。

もし、このまま順調に資金が溜まったら、その時にキャッシュで買おうなんて言っています。
乳がんになったら必ずマイホームを諦めなければならないのではありませんが、少なからず影響はあるかと思います。

そして、もう少し先だと思っていた親の介護についても考えました。義実家には義姉家族がいますが私の親を介護できるのは私だけです。
最寄りの有料老人ホームの資料を集めたり、デイサービスで働いている友人にも相談しました。どんな状況になっても両親が介護サービスを受けながら安心して暮らせるのか把握しておきたかったのです。

ここまでやる必要は無いかもしれません。でも、私は乳がんをきっかけに、今できることは今やっておこう、と考えるようになりました。
ズボラな性格だった私にはちょうどよかったかもしれません。

子どもたちに対してもそうです。
母親として何をしてやれるのかを考えた時、子どもたちが求めているものは
本当にシンプルなことだと気づきました。

家事の途中で「忙しいから後でね。」と言って子どもを後回しにしないようにしました。
特に子どもたちがスキンシップを求めてきたら必ず応じています。

ママに抱きしめてもらった感覚をしっかり子どもに残したいからです。「もういい!」と言われるまで抱きついていますしひざの上に座りに来たら座椅子に徹しています。

眠る時も子どもたちは私にひっついてくるので、重い!暑い!と怒らないで
手足を乗せられて重くても子どもたちが寝入るまでは動きません。

家事は誰でも代わりができますが母親の温もりで包んであげられるのは、やっぱり母親だけなんですよね。

これは乳がんになった方だけでなく子育て中の全ての方に再確認してほしいです。
子どもを抱きしめられることがどんなに幸せかということを。

私は毎回、これが最後かもしれないと思って愛情を染み込ませるイメージで抱きしめています。
もっと抱きしめておけば良かったと後悔しないために今のスキンシップタイムを大切にしたいです。

○家族に言われて嬉しかったこと

乳がんになってスキンシップは増えましたが
それに対して子どもたちは、「ママは病気になって優しくなったけど、前よりうるさくなったから微妙。」なんだそうです。

次男と正反対で口数の少ない長男(当時9歳)は、退院後は特に気にかけるようにしました。
長男は学校から帰ると、次男をお風呂に入れて着替えや食事の手伝い、遊び相手をしながら自分の宿題をこなし、母と私の負担が軽くなるように動いてくれていました。

その長男に、「いつもありがとう。ママが寝てるから大変になったね。」と言うと

「毎日、疲れるマジで。ゲームも全然できない。でも、ママの大変さが分かったよ。」と言ってくれました。

性格は優しいですがすぐ文句を言う長男なので、この発言は嬉しかったです。迷惑かけている私が言う立場では無いのですが、デメリットばかりでは無いのかな、と思いました。

そして、私の今できることを今!という考え方は、子どもの教育も同じで、“いつか教えよう”では無く“今、教えておかなければならない”と考えるようになりました。

長男にある日、「どうしてママに怒られてるの?考えてみて。」ときつく叱った事がありました。
(実際は、こんな優しい口調ではありません。)

黙っている長男に、少し言い過ぎかなと思っていたのですが、本人の為だと思っていました。

しばらくして長男は「ママは僕にしっかりして欲しいんでしょ。ママの次は僕だから。だから、これからは気をつけるけど、あんまり怒り過ぎたら今度は血管が切れるよ。」

と言ってきました。

この「ママの次は僕」という言葉を聞いた時、私は本人に長男としての自覚があるのだと知りました。

その後、長男は小学校の生徒会のような組織に入り、私たち家族を驚かせました。
私は子どもの頃から全く無縁だったし、今でも学校や地域の役員とか委員とか苦手なので長男も同じだと思っていました。
だから、どうして入会したのか理由を知りたかったのに、尋ねても教えてくれないので担任に会った時に聞いてみました。

すると入会の時に志望理由を言わなければならないそうで

「苦手だけど、しっかりした人になりたいから。」と言ったそうです。
ボキャブラリーの乏しい長男らしい理由ですが、それを聞いた私は先生の前で泣きました。涙もろい母親です。

鈍臭くて女の子によく叱られているのを見かけていたので、たよりない子だと思っていました。
でも、私が思っている以上に状況を理解し現実的に考えていて、自分のできることをしようとしてくれています。
病気に関して文句を言った事は無いし、本当に優しくて自慢の息子です。

それなのに、ついうるさく言って「ママ怒りすぎ!」と逆ギレされますが、
これからも優しくてうるさいママでいるつもりです。

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○家族に言われて辛かったこと

私が乳がんになって家族の態度が変わらなかったことはありがたかったです。
副作用が抜けて私が動けるようになってくると母は「働かざるもの食うべからず!」と食事の用意や洗濯を任せてきました。

私もその方が気が楽だったのです。だから、家族に対して、もっとこうして欲しいという要望は無かったのですが、家族に言われて辛かったことはいくつもありました。

その一つが母がすぐに「どうしてあなたが乳がんになったんだろう。」と私に愚痴ってくることです。

母の残念な気持ちは分かりますし、迷惑もかけているので話は聞くようにしました。
でも、それは答えが無いものでいつも返答に困りました。

乳がんリスクに当てはまらない私が消去法でいくと残る原因はストレスです。
姑は夫が家事、育児に協力できなかったことがストレスになったんだろうと謝ってくれます。それも申し訳ないです。

でも、子どもが生まれてからの年月は大変な中にも感動や喜びがあったので、ストレスという言葉では振り返りたくない尊いものです。
子どもの人生まで否定されるようで認めたくありません。どうして乳がんになったのかを考えることは、タラレバ論に行き着くだけで虚しいだけです。

そして、一番辛かったのは、やはり子どもからの言葉でした。

思ったことを素直に言葉に出す次男は、私が入院中も泣いて電話をかけてきました。
夫に聞いたのですが、4日目までは本当に普段と同じように過ごしていたそうです。

でも、おもちゃのマイクでインタビューごっこをした時に「好きなものは何ですか?」と聞かれて「ママです!」と言った瞬間に泣き出してしまいました。
私が電話で「あと5回寝たら帰るよ。」と言うと「遅い!」と怒りながらも安心したのか泣きやみました。

電話での件もあり、退院して家に帰る時は、さぞかし喜んでくれるだろうと私も楽しみでした。
ところが次男の反応は思ってたより薄めでした。
もっと飛びついてくるかと構えていたのですが、何となく距離をとっています。
私から近寄って行ってもいつもと違うのでこれは怒っているのだとしばらく様子を見ていました。

すると寝るために2階へ上がろうと階段に来た時、前を歩いていた次男が急に抱きついてきました。

そして、「僕はママが大好きなの。だから、遠くに行ったら嫌だよ。お星様になったら絶対ダメ!」と泣き出しました。

私も、もらい泣きしそうになりましたが堪えました。

すぐに、「お星様にはならないよ。」と答えてあげるべきなのでしょうが、後々、この発言がこの子を傷つけてしまわないかという余計な考えがよぎり
「ママは一緒にいるよ。」とだけ言いました。

そして、次男が落ち着いて離れるまで抱きしめていました。
4歳になったばかりの子どもには重すぎる心の負担をかけていることを改めて感じました。

幼稚園で他の子どもたちと一緒に笑っていても、その心にある影を思うと不憫で何とも言えず涙が込み上げてくるのです。

まとめ

私が乳がんになった影響は生活環境が変わったのはもちろん、将来設計にも及びました。心に大きな負担をかけてしまいましたが、その中でも子どもたちは逞しく育ってくれています。子どもたちは我慢していることを大人に感じさせませんでした。

賢くして待っててね、という言葉の通り、4歳の次男は精一杯、我慢していたし、今も病気の影が必ずあるでしょう。言葉に出さない長男こそ気にかけてやらなければなりません。

家族は今、私の病気を心の端っこに置いて普通の日常を送っています。
大病された多くの方がそうであるように私も乳がんになって人生観が変わり、日常のありがたみを感じて暮らすことができます。

でも、それを家族に押し付けてはいけないし、この状態を私が幸せだと言ってはいけないのです。乳がんは不運としか言いようが無いし、大きな悲しみは避けられません。ですが、不幸になるかどうかは患者や家族の考え方次第なんだろうな、と思っています。

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